毎日の普段の生活で、ちょっとした感動や気になった事など些細な事を書いてみます。つぶやき以上、議論以下という軽いタッチで書いていきます。
日常風景 (23)←今これ
「日々是好日」な何気ない日常です。
メンテナンス (4)
ホームページのシステムの更新等のお知らせです。
目新しいモノ (23)
自分の興味ある分野のモノだけです。
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今日は少し腰痛・・と言うか、椎間板ヘルニア?の痛みなのか。ひどくならないと良いな。
今日は、長女と夫、孫の三人を引き連れてお墓参りに。気分は自分はご先祖様へのご挨拶、皆はピクニック。それで、良いのだと思うな。
長い期間、ゴホンゴホンと咳したり、寝込んだり、フラフラしたりしてご迷惑をおかけしました。6月末に肺の翳りが消えましたとお医者さんに言っていただき、ようやく7月も中旬になってしつこく続いていた激しい咳が治まりました。時々、コホンコホンと言ってますが、これは伝染する咳では無いということなのでご安心ください。という訳で、しばらくほったらかし状態になっておりました仕事も含めた日常を平時に戻していこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
令和6年5月15日 午後4時20分頃
与謝野町字幾地 平地峠(さんさんパークから北北東500m付近)で熊が目撃されました。
人手が減ったので春祭りの屋台の出番も2回になりました。寂しいですね。
今朝は早くから目が覚めたので、起きてウロチョロしていましたら、どの瞬間からかホンワカとカメムシの臭いがまとわりつくようになり、孫悟空の觔斗雲(きんとうん)状態。
どこかいると探して探してしましたが、結局分からず。
発生源はズボンの裾付近ということで、新しいズボンが到着するまでズボンの無い姿で待つこと数分。
さぁ、今日も頑張ろう。
いや、今日こそ頑張ろう。
おはようございます。
昨日は天気の良い暖かな一日でしたが、それに呼応するかのようにカメムシが大量出現した春の一日でした。
これまでは、秋の天気の良い日に一斉に野山から家を目指してやってくるカメムシ襲来の日がカメムシを大量に目にする一日でしたのに、最近は春にもそのような日ができました。秋と逆で野山へ戻るカメムシの群れの一日のはずなのですが、近頃は気候が不順なのに対応したのか、すぐに野山に戻らず家に滞在するようで、それがこの春の一日だけで終わらない原因かもしれません。
いずれにしても、昨日は孫達が公園に行くと車を出せば車の中に十匹近くがいる。玄関はいらっしゃる方が「あれカメムシが」と秋の童謡ようなセリフを皆さん仰る程にとってもとってもいるという状態。早く帰ってしまってくれないものでしょうかねぇ。
インボイス制度が今日から開始。
賛否色々な意見がありますが、自分は反対です。内容についても思う意見はありますが、それ以上に今の政府が人の意見を聞こうという姿勢がゼロなのが気にいりません。口先だけは「聞く」と盛んにおっしゃってますが、嘘なのは実際の行動を見ていたら明らか。
マイナンバーもそうですが、とにかく信用や信頼が出来ないということが内容云々以前に影響します。普段から信用できる人なら「この方はおっしゃるなら・・」という気持ちになるのでしょうが、「この人が言うことは信用できないから・・」となるから、何をどうしても受け入れられません。その辺り、上に立つ人は心しておかないと。。。と思うのです。
月初早々に文句垂れをいたしました。失礼。
何年か経過した時、「あんな事もあったねぇ」と思い出となるものと、「こんな事していたんだ」と笑い話にんるものとがある。この話題が正にこの後者だろう。長くてもこの数年でAIが次のフェーズに進んでいった時、GPTそのものがとてつもなく古いものに思えてきた時、そう変わるのだろうね。これは断言できる。
ビジネスの大きなチャンスというのは、一生の間に何度かある、という話。そんな事があるのかなぁ、それって前もって分かっていれば思いっきり取り組むのになぁと甘く考えていた若い頃。
当然の話ながら、そんなチャンスをものにすることもなく、むしろ後から悔しがる様な醜態ばかり晒してきたのですが、でも今になって思うと、そういう大きなチャンスがこれまで三度あったように思うのです。
一度目は、パーソナルコンピューターが出現した時。それまではコンピューターと言えばIBMなどのとてつもなく大きな装置のそれでしかなかったのに、それが家の机の上に乗るようになったということ。凄いなぁ、小さいなぁとは思いましたが、専門的な知識も技術も無いし、特にハードの分野の話なので自分には無縁かなって思いスルー。
二度目は、インターネットが出現した時。これはハード的な部分もありますが、どちらかというとソフト的なインパクトが強く、この時は、今後は必ずこれを中心に世界中が回ると分かりました。だろうでは無く、なるという100%の予感。これになんとかしがみつきたいと思い、すぐに着手して少しだけ関われチャンスが活かせました。
三度目は、スマホが出現した時。日本初のスマホを購入し使い始めましたが、当時はまだi-modeが全盛の時代で、Androidという世界共通のプラットフォームのメリットがよく分かりませんでした。規格もバラバラで、その後iPhoneが出て絞られたハード規格のメリットが出て来て魅了でしたが、すでにAndroidの陣営?に組み入れられてしまってて身動きがとれなくなっておりました。で、そのチャンスはほとんど活かせませんでした。
そして今、四度目の大きなチャンスが来ています。ChatGPTに象徴されるAIの波です。誰もが思う以上に大きな波だと思いますし、既存のビジネスと呼ばれるものは大変革に飲み込まれるでしょう。どういう職種が無くなるとか、どういう仕事が消えてしまうとか言った話では無くて、職種や仕事の中身が変化するという話です。
これに乗らない手はありません。とは言え、自分の年齢で新たに乗って行くというのは無理なので、これは若い人達へのエールとしてその事を伝えるくらいが精一杯の出来ることかもしれませんが、IT関連のビジネスは都会でしか出来ないとか、お金がないと出来ないとか、そういう「縛り」の無いビジネスが可能になりますから、そろそろそういう言い訳で逃げるのは止めにしませんか?
(今朝、facebookに投稿した記事です)
facebookでも政治家の方と何人かお友達になってますし、身近な方々の中にもそんな方が複数あるのですが、それらの方々のホームページって見た事が無いのですよね。そもそも無い人も多いし。
で、見たことがあるホームページも二度、三度とは見にいきません。答は簡単で「面白くない」から。いや、ギャグがあって笑えるとか、素敵なデザインで見るだけで気分が良いとか、そういう意味の「面白み」では無くて、その人の信念だとか、思いだとか、考え方がどこにも掲載されていないから。もっと言えば、温かな血が感じられないから、と言った方がいいのかな。
ホームページって、政治家や意見を言いたい人にはうってつけのツールだと思うのですが、現状ではそのパワーが活用出来ていないと思うのです。
政治家の方のページなら、どなたの人のページへ行っても「党の方針」だとかが出ていたら、大きな事象へのおおざっぱな思いが(その多くは党の意見)書かれているだけで、その人が日々のたくさんの現象や現実問題にどう向き合ったり感じたり、こうであらねばならないとかいう素の思いが全く見えません。
これは与党、野党を問わず、ほとんどの議員さんのページに言える事で、これではイカンわなぁと思います。選挙で選択の余地が無いからあなたに投票しているだけで、もっとすごい人が現れたら(って普通に情報発信をするだけの人なのですが)即、支持は変わるのではと。
先日の週刊誌の記事のように、「政権批判をする人はコメンテーターとして出さない」なんて堂々と言う今のテレビ局にはあきあきしています。くだらない番組(ゴミ)を大量に発生させているだけのものに貴重な電波資源や電気エネルギーを浪費させているのもおかしな話ですし。
テレビ局も新聞社も頼りにならないなら、ここはやはり政治家先生方にはキチンと自分の信念で突き進んで欲しいです。真面目であること、勤勉であること、弱い立場の人の話をキチンと聞けること、これまで通りこうするものだと思考停止するのではなくいつも考えていること、・・等々希望を言えば数限り無く出てきますが、まずは自身のホームページを持ち、自分だけの情報を発信することがみんなを政治に引き戻すきっかけの一つになるのでは無いかなって思う木曜日の朝なのでありました。
面白い時代が今そこに来ています。
それは決めつけられない時代です。
力で物事を決めつけねじ込んだ時代がありました。数で物事を決めつけた時代もありました。昭和だとか平成だとか令和だとか、そんな時代の典型だったのかもしれません。
でもこれからは違います。決めつけられない時代に入ろうとしているからです。だからこれはこうなんだ。そう決めつけられる根拠がありますか?そんな事を決めつけ言い切れるのは何故ですか?
首相がこう言った。こうって、どう言ったの?ほんとにそれを言ったのは首相なの?そもそも国会にいるあの人が首相なの?
そんな嘘の様な夢の様な時代に今入ろうとしているということを、しっかりと認識しておかないと混乱と時代錯誤の国になってしまいそうです。
「・・」と自分が断言しても、どっかに「ほんとかな?」という部分を残しておかないといけない時代。だからこそ相手の「・・」にもひょっとしたらという隙間を残し逃げ道を確保して、そして何より許すというゆとりを自分の中に持っていないと、何もかもがギスギスとなってしまいます。
昨日までこうしたから明日もこうすべきと言った時代。
昨日までこうしたから明日からは変えようとする時代。
これからやってくる時代は、
どういうやり方だっていいんだよの時代。
裏を返せばどんな事したって間違ってるかもという事。
だからこそ、決めつけず、まず認めるからスタートしないと。
ふとそんな事考えてた夢の中。
SNSに自分もよく時事ネタなどを書くのだが、往々にしてここで書かれている事実と意見とがごちゃ混ぜになってしまってることがあります。事実のつもりで自分の感想を書き連ねて得意になっていたり・・これはキチンと仕分けしておかないといけませんね。
グーグルマップを見ていると楽しいです。地図が大好きなので、地図として見ていても面白いのですが、衛星写真に切り換えて見てみると、限り無い変化に圧倒されてしまいます。お寺も、地図の規則通りなら卍でしか見られないですが、衛星写真なら千差万別。で、こちらのグーグルマップ。最初見た時には、屋根に落書きが書かれているのかと思いました。
もともと内向的な性格の人に、外向的であれと言うのは止めましょうという話。これは確かにそう。自分も「いやいや、もっと外へ出て人とも元気な会話をして・・・」とそれらしいことを挑戦した記憶が何度もありますが、やっぱりその後は「反動」というのでは無いにしても、凹んでしまう事が多々ありました。「正解」も「最適」も一つではないということですよね。
この記事のまんまです。他の人には優しい事が言えても、自分にはやはり厳しく対応しないと(笑)。
今朝の勝間和代さんのメルマガ(無料版)のテーマは「料理」。『趣味は料理です』っていうのがいいですね、というもの。一日三度の食事という頻度があり、それらを自分で作ることの楽しみ、更には他の人にも提供出来るという喜びなどの満足度が高いのに、高額な費用が発生しないというコストパフォーマンスの良さ、と述べられてて、その通りだなぁと思うのです。
今の時代。田舎ならともかく、都会ではちょっと歩けばコンビニもあるし、ファーストフードなどの食事を出来る場所も山ほどあるので、今さら料理なんてとなるのかもしれませんが、やはり自分で料理が作れる、調理が出来るというのは魅力です。私は、それこそ卵焼きを見よう見まねで作れる位で、後はインスタントラーメンに湯を入れるくらいしか出来ませんから、ほんとに自分で料理が出来る人を尊敬もし、羨ましいです。
こういった形の投稿形式があってもいいなぁと思います。
やはりスマホは、iOS系の方(iPhon
登山者が山の稜線で熊に襲われるという信じがたい出来事。この動画は登山者の安全のために活用されるようにと公開されています。
昨日の日曜日。かなり暖か・・というより暑い程だったのですが、やはりカメムシがポツポツと出没し始めました。なんて言うのか正式名称は不明ですが、やや体がすまーとなものが一昨日の土曜は多かったですが、昨日からはいつものクサギカメムシの姿がいくつも。
部屋の中にも入ってきて、この事務所でも昨夜ブンブンと飛び回り、でも目が悪いのと暗いのとで見つけられませんでした。が、先ほどそれだったのであろうそれが、またまたブーンと飛んで来て、今度は明るい日中でしたから捕獲。自分で捕獲器の中にポトンと落ちたのに、臭いを出してしまい困りました。